最新の記事
最新のコメント
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 more... ブログジャンル
タグ
カテゴリ
全体 いちじく いちじくとくぬぎ くぬぎ くぬぎとわらび わらび いろいろなこと たまのおでかけ わたしのてんかん わたしのうつ病 わたしのぱにっく障害 わたしの関節リウマチ わたしのシェーグレン症候群 わたしの橋本病 わたしのドケルバン病 おいしいもの Art Tv Drama Sports Book 陶芸のこと キレイカワイイ 思い出箱 おはなし ちゅんちゅん@携帯 ベランダ園芸 ちゅんたろーの旅行記 わんにゃん族 わたしの高血圧 未分類 プロフィール
ちゅんちゅんの陶芸ブログ
「いいもの焼けた?」はこちら♪ ******** 当ブログの全てのコンテンツ(文章・画像)は著作権を放棄しておりません。 許可なしでの情報の転載、転用、引用、コピーなどはご遠慮下さいませ。 ******** いちじくはねこ。 わたしの大事なたからもの。 子供のころ、裏にいちじくの木がある家に住んだことがあります。 手入れをするわけでもないのに、季節になると、あまいあまい実を食べきれないほどとらせてくれました。 ぷつぷつとろ~り美味しかった 木の上でしっかり熟したものが好き。 シルバーーグレーの毛がビロードのような手触りのいちじくは、なでていると、わたしがなでられているような錯覚におちいって、気持ちがとても落ちついて。 しあわせなひとときでした。 わたしは、てんかんの発作を2才のとき初めて起こして以来、長い長い付き合いをしています。 確定したのは小学校2年生。 知らない人には知ってもらえるように。 少しでも伝わっていけばと思っています。 いちじくとくぬぎとわらびとの暮らしの中で。 日々のことを交えながら。 のんびり書いていきたいです。 2005.5.24 いちじくに弟を迎えました。 くぬぎ。 キジトラの男の子。 家に来たときは750gでした。 いちじくとののんびり生活に変化が訪れ、楽しみです。 2005.9.5 ブログを始めて1年を迎えました。 くぬぎはすくすくと育ち、キジトラというよりオシキャットのように見えます。 のんびりをさらにのんびり。 2年目は、もっと肩の力を抜いて。 少し生活に幅も欲しいと願っています。 2006.3.20 障害者手帳を手にしました。 正確には「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第45条の保健福祉手帳」 等級は、1級。 思ったより重かった。 2006.9.5 「いちじく日記」も3年目に入りました。 見守ってくださる方々へ心からの感謝を。 そして、くじけそうになるわたし、よく生きる道はきっとある、生きてみなければわからないことがたくさんある。 大事なことを忘れずに日々を送れますように。 2007.10.吉日 4年目にはいっている「いちじく日記」です。 毎日がはじめての時間。 変わらないようでいて、少し違う時間。 現実の時間は確実です。 歩いているのか 歩かされているのか いちじくぬぎとともに 一歩一歩。。。。 2008、7月 関西どっとコムからeoblogへ。 移行することになりました。 環境が少しだけ変わり、わたしにも何かあるのでしょうか。 2013、12月 いちじくぬぎともに、元気です。 小さな一日をなにもなくとも大事にしてきて そろそろ、あと一歩、もう一歩、の思いが動き出すのではないか、自分に期待しているところです。 なんと長らく書きつづけていることでしょうか。 おかげでほかの何かもやれそうな気がするのです。 2014、9月 いちじくぬぎ、少々としはとりましたが、元気です。 年初から19年ぶりに陶芸を再開しました。 しんどいながらも張りのある生活。 得意の夏場に体調が悪く、どうしたことかと思っていたら、関節リウマチになりました。 病気も身のうち、ストレスをひょいひょいと避け、うまくやっていきます。 めざせ、寛解、なのです。 2016、1月17日 最愛のいちじく いちじくが2015年夏に悪化した慢性腎不全の闘病を終え、わたしのもとから旅立ちました。 さみしくなりました。 いちじくがもうひとりで動けなくなり、そばについていたときです。 やらなければならないこと やりたいこと 全部やってから いちじくのところに行くね そう約束してしまいました。 「いちじく日記」はつづきます。 2016、7月21日 くぬぎに年の離れた妹がやってきました。 黒猫の女の子わらびです。 家に来た時は生後1か月半、570g いちじくの面影をつい探してしまっています。 2016、11月 eoblogのサービス終了によりエキサイトブログへと引っ越ししてきました。気持ちを新たに、変わらぬ日常を大事に送ってゆきたいです。 2020、7月13日 くぬぎが15歳で旅立ちました。 肺の状態が末期だとわかって1ヶ月半の闘病。 くぬぎは呼吸が苦しい中、本当によくがんばりました。 さみしくなります。 書くこと、描くこと。撮ること、おいしく食べること、良く眠ること、 猫、猫、猫、 美しいこと、かわいいこと、きれいにすること、花、演劇、どろどろ、悪夢、シンブル、きらきら、インテリア、アンティーク、B’z、 猫、猫、猫、 陶磁器、旅行、ほんとは外に出たい、こうもり、バラ、いちじく、くぬぎ、どんぐり、猫猫猫、文楽、歌舞伎、落語、着物、ファッション、わらび、陶芸 検索
|
ゴシップにはあんまり興味はないんだけど
大谷くんの結婚には、お相手はどなた〜〜!?と興味津々になりました。 比べるものじゃないけれど、羽生くんが結婚発表からメディア対応がうまくいかなかったこともあるし せっかくパートナーとして生きて行きたいという人が見つかったのなら 今時の罵詈雑言をやたらと発生させずにいけたらいい。 あまりに有名人でどうしたって注目を浴びずにいられない。 しかも世界的にだし。 幸せに過ごしてもらいたい。 興味津々ながら、そんなふうに思っておりました。 「普通の日本人」と大谷くんが言っていた女性は そんなに普通じゃなかったですね、(*´艸`)クス 女子バスケットの実業団で活躍していたほどのトップアスリート。 しかも、わたしの感覚では、かなり美人!好きな感じ!! 193㎝の大谷くんと並んでちょうどいい、背が高くてスタイルいい! 大谷くんと顔というか雰囲気がそっくり。 違和感がまったくないおふたり。 きっとものすごくいつも誰かに見られているだろうに ちゃんと見つけられるものなんだなあ、としみじみよかったとなりました。 ドジャースの人たちが積極的に外に出したのもよかったのかもしれませんよね。 隠したい気持ちもわかるけど、きっとそれは不自然なことになるんでしょうね。 田中真美子さんという大谷くんのパートナー。 自分のキャリアを止めて、アメリカで次のステップを踏むことを決めた。 バスケットやめてしまってよかったのかな、自分で決めたことだろうけれど。 美人なまま、自分の好きなように思うように暮らせるといいですよねぇ。 (この「美人」は顔つきとか雰囲気とか総合的なもんです〜〜) 韓国で大谷くんとダルビッシュ有くんの試合がもうじきです。 昨夜は韓国のチームと試合をしていましたね。 でもそれじゃなく、水泳のパリ五輪切符のかかった試合を見ていました。 池江璃花子ちゃん、よかった!! バタフライ決勝2位、五輪基準タイムギリギリクリア。 パリ五輪への切符を手にすることができた。 ゴールしたあと、じっと目を瞑り、天を仰いで「よかった」と口が動いてた。 涙が出そうになりました。 努力を続けること、努力が実ること。 どちらもとてもむずかしい。 池江璃花子ちゃんへのインタビューから、パリ五輪までまだ努力することができる。 そのことをまず喜んでいる感じが伝わってきて、すごいことだなあと思ったのです。 それから背泳の入江陵介くん。 ロンドンオリンピックでメダルをとりまくった入江陵介くん。 上のリンクをぜひご覧ください。 入江陵介くんってくぬぎと顔が似てるんです。 我が家では、入江くぬぼんと呼んで大応援してるんです。 昨日の泳ぎで決勝に進んだ。 今日が決勝。 どうか基準記録に達してパリ五輪にも行けますように。 心から応援しているワタクシです。 大相撲春場所? もちろん見ております。 横綱照ノ富士が休場してしまい、大関と元大関と大関候補で溢れていて 実力も誰がどうなんかわからんような混沌とした十両幕内。 誰が出てくる!?とおもしろいです。 選手たちの努力がどうか実りますように。 #
by ichijikunikki04
| 2024-03-19 10:11
| Sports
|
Comments(1)
仙巌園に入るのに入場料が必要で、その中の御殿に入るのにも入場料がいる。
現存するこれは明治17年に改築されている建物が主だそう。 室内に使われたの最高級の屋久杉。 29代島津忠義が住み、幼い30代忠重は東京に住まいを移すまでここで育ちました。 島津家は明治になって、公爵になったんですよねぇ。 (西洋にかぶれたのよね、明治政府って) 知らなかったのだけど、日本建築の伝統的な装飾で 釘を隠すためのものだそう。 部屋や廊下によって素材もデザインも違うもの釘跡が隠されていました。 わたしとしては、磁器で作られた赤蕪のがかわいいと思った〜〜 玄関の間は、世継ぎの部屋で(不思議!) 小さなピンクの甲冑が展示してあり 島津家30代の忠重がニコライ2世の訪問時に着ていたものだそう。 ニコライ2世はシベリア鉄道の起工式に出席する際に鹿児島に寄っています。 忠重はニコライ2世の戴冠式のために、12代沈壽官に紋章入りの薩摩焼を作らせて贈っています。 これは15代沈壽官が作った複製です。 本物はロシアにあります。 派手だなあ薩摩焼。 いいなあ、毎日桜島を眺めて過ごす。 いいなあ、って思いました。 この写真の山の真ん中あたり、岩に書かれた白い文字が見えるのです。 27代島津斉興がのべ3900人、3ヶ月をかけて刻んだのだそうです。 「千尋巖(せんじんがん)」の3文字で11メートル! 千尋巖って、どういう意味なんだろうと調べたら 「大きな岩」なんですって。 わからん。 見たらわかる大きな岩にわざわざ大きな岩と書きたい気持ちが わからん。 小さな岩の祠がありました。 どうやら島津家の方たち、猫がお好きだったようです。 篤姫も江戸城で猫を飼っていましたものね。 しかし! 秀吉の文禄・慶長の役(1592年〜)の際、島津義弘は朝鮮に渡るのに猫を7匹連れて行ったのだそうです。 その理由がね、猫の目の瞳孔の開き具合で時刻を知るためなんですって!(嘘っぽい) 各部隊に猫を配属して、5匹が戦死、2匹が生還したのだそう。。。 バカじゃないの義弘って!と石碑を読んで腹を立てたワタクシです。 天気によって瞳孔の開き方なんて違うわ、このバカちん。 ただ連れて行きたかっただけ、と思ったのだけど、どうでしょう。 腹は立ったけど、猫は大事にされたようです。 江戸時代「黒猫は恋煩いに効く」だとか「黒猫は労咳を病む人が飼うと病気が治る」とか いやそれ効かないし、と思うけれど言われていたそうです。 焼酎や梅酒のパッケージにも黒猫登場。 わらび〜〜〜 黒猫が大事にされていたことは、うん、いいことだなって思ったわけです。
山桜が山々を染めていて 一足先の春。 そしてそろそろ疲れてきました。 もうパンフレットを眺める元気がなくなって、 駐車場の方角に、薩摩切子の工場や仙巌園風のおしゃれなスタバがあることに まったく気づかずここを出てしまったのでした。 仙巌園風スタバ、行きたかったです。 残念〜〜〜 #
by ichijikunikki04
| 2024-03-18 10:40
| ちゅんたろーの旅行記
|
Comments(0)
市場でお刺身をいただいてから、世界文化遺産「仙巌園」に向かいます。
桜島を右手に見ながら、海沿いの道を走る。 大阪はあんなに寒かったのに、鹿児島は暑いです。 仙巌園に入ってパンフレットを見ると、ここ、広い! 地図左の方の正面入り口から入って、開けた風景がすでに広い、視界が広い。 山桜が美しく山を彩っています。 日本最初の洋式工場群「集成館」を作ったのだそうです。 そこを舞台にして得られたものが、技術大国としての日本の土台となりました。 ドラマでよく会う島津斉彬。 大河ドラマ「西郷どん」では渡辺謙でしたね。 この写真は、反射炉跡です。 鉄製の大砲を造るための炉の跡です。 斉彬たちは、実物を見たことがないのに、オランダの書物を参考に試行錯誤したようです。 かつてここに20メートルの高さの炉があったなんて、すごい 尚古集成館の本館は休館中でした。 慶応元年(1865年)に作られた、日本最古の石造洋式工場で その建物は島津家800年の歴史文化を眺めることができる博物館なのです。 残念。 視線を上げると桜島が目に入る。 この島津家の家紋入りののれんがかかっています。 源頼朝が惟宗忠久に薩摩・大隈・日向の守護職を与えられ それから島津の姓を名乗るようになったのが始まりです。 「丸に十字」が家紋。 島津家、歴史が古いですねぇ。 両棒餅(じゃんぼもち)屋さん。 お腹がいっぱいで食べなかったけど、両棒餅は名物らしいです。 みたらし団子的な味かなあと思っただけで、食べなかったことを後悔。 道沿いにも両棒餅屋さんをたくさん見かけました。 正門です。 明治28年(1895年)に29代島津忠義が建てさせたものです。 中央が丸十字、左右に桐の紋。 桐の紋も島津家のものらしいです。 屋根を錫で葺いているからの命名です。 錫は薩摩の特産品なのですね。 江戸時代ってば、正門を通ることができるのは、藩主とその世子(嫡男)だけ! なんなのその差別的な感じの悪いそれは、と思ったことの始まりです。 そう、始まりに過ぎんかった〜〜〜 中国や琉球の影響が強いのかな。 石の使い方がおもしろいです。 この灯籠もおもしろいですよね。 獅子乗大石灯籠です。 乗ってるの、シーサーみたいです。 写真撮らなかったのだけど、よく似た大きな灯籠があって そこで28代斉彬はガス灯の実験を行った。 城下町をガス灯で明るくしたかったけど 志なかばで亡くなってしまったそうです。 進取の領主の急逝は、薩摩にとって大きな痛手だったでしょうねぇ。 「西郷どん」で西郷吉之助の鈴木亮平と島津斉彬の渡辺謙が相撲を取ったシーン。 この庭で撮影されたそうです。 うんうん、そんな感じでしたよね。 #
by ichijikunikki04
| 2024-03-17 11:53
| ちゅんたろーの旅行記
|
Comments(0)
鹿児島から帰宅して、まずまず元気です。
うん、大丈夫。 今日は旅行記をちょっとお休みして 気になっているはしかのことをみなさまに聞きたいのです。 アジアではしかが流行中で、日本にもやってきてるそうです。 感染力は強力で、その上症状がきつい。 後遺症もある。 ワクチンが有効だけれども、品薄で予約も詰まりまくりらしい。 1972年9月30日生まれ以前の人はワクチンを受けていない、そうです。 2000年4月2日生まれ以降は2回接種をしているけれど それ以前の人は1回の接種だから、追加が必要なのだそう。 ワタクシ1961年生まれ。 ええ、もちろんワクチンは受けていません。 当時はワクチンはなかったと思う。 はしかも水疱瘡もおたふく風邪も、幼稚園で流行ったのに感染して それを二つ年下の大妹にうつして、ふたりで布団を並べて寝てたのを覚えています。 それも幼稚園の年少さんの1年間に全部やったのです。 症状はどれもかなりきつかった記憶があります。 はしかの場合は、高い熱が続いて、発疹が出て、吐いたりもした気がする。 そんなわたし、抗体って持ってるんですよねぇ? 二つ年上のおっちゃんに聞くと「はしか?かかったで」ということ。 年配は自力で抗体を獲得してるんでしょうか。 どうなんだろう〜〜 心配なのは、六つ年下の小妹です。 彼女ははしかにかかっていない。 ええ、それも覚えてるんです。 幼稚園に通ってるころ、ああ、そろそろかかるんだろうなと思い 母にそう言いました。 おせっかいお姉ちゃんだったのです。 「小妹ちゃんはね、ワクチン打ったのよ」 え、ワクチン? 「あんたたちが大変だったし、もう受けさせようと思って」と母。 そうなんだーーっ!と驚いた。 ワクチンができていたのです。 小妹は、水疱瘡もおたふくもかかってない気がする。。。 どうだろう。 そして、1972年生まれよりもっと前に生まれてて ワクチンは受けたけど、1回しか接種できてない気がする〜〜〜 (って、小妹に抗体あるかどうか聞いたらって話なんですけど) はしかにはかからない方がいいと思うのです。 コロナより症状はもっとずっときつい、長引く。 ワクチン打ってない人、抗体がなさそうな人は近くのクリニックに問い合わせてくださいね。 はしかのニュースを見ていて思うの。 年配のことに触れてくれない。 かかったことがある人は大丈夫なのか、言ってくれない。 わたし、今の年齢体力であれにかかったら、、、と思うと鳥肌ものなのです。 超高熱が長く続くのに耐えられない気がする〜〜 大丈夫って言ってほしい〜〜〜 2000年生まれよりずっと前の 1961年よりずっと前に生まれた、 たぶん感染したことがある年配族もすごくたくさんいるんだから そこにも触れて欲しいものです。 流行らないでほしいなあ。 #
by ichijikunikki04
| 2024-03-16 10:47
| いろいろなこと
|
Comments(11)
車のナビさんは高速に乗るように言ってきたけど、無視して下道をゆくことにしました。 山道を下がってゆくと「左に7キロほどで熊襲の穴」と出ています。 気になるけど、右に行かなくちゃ。 熊襲(クマソ)って!たぶん、わたしは熊襲の末裔な気がしてた。 仏壇のおじいちゃんの写真の顔が西郷さん的な熊襲的なギョロ目に鼻がどっしりしてたし! 熊襲って熊本だと思ってたけど、もっと南にいたのね。 そんなことを考えていたら「隼人塚」と出ています。 隼人(ハヤト)って!薩摩隼人のハヤト?気になる!! おっちゃん、隼人塚に寄ってくださーい。 この石の塔にそれを守っている4人。 熊襲の穴は、熊襲の長カワカミタケルが住んでいて、 そこを訪れた女装したヤマトタケルに殺されたところです。 なんと、ヤマトタケルが女装してたとは! 隼人塚は、台頭する大和政権が熊襲隼人を平定した。 その隼人の霊を供養するために作られたそうです。 祟ったのね、殺された隼人たちが。 国の史跡です。 隣に隼人塚史跡館があったけれど、休館日でした。 隼人って「薩摩隼人」の隼人よねぇ。 鹿児島に来たんだなあ、としみじみしました。 ほんの少し遠回りしたかいがありました。 目指すは、鹿児島の魚市場。 遅い朝ごはんを食べたいのです。 市場の食堂でお刺身を食べたい。 車を走らせていると、突然左に桜島が見えて なつかしさに感激しました。 もう50年くらい前のことになるんだなあ。 集っていたおじさま方に聞くと 「その辺に停めてよかよー」とおおらかです。 魚市場の仕事はほぼ終わったらしいその辺に停めさせていただいて、 お店は市場関係者じゃなさそうな人でいっぱいで お刺身定食にしました。 いちばん高ーい!! 寸前で売り切れになってしまった。 首折れサバとは、屋久島あたりで一本釣りしたゴマサバを獲った直後に首を折り血抜きをしたもの。 鮮度を保つため、そうしてるんですね。 福岡もサバを刺身で食べるんです。 おいしいんですよね。 なんといっても、キビナゴが最高です。 すんごい新鮮でうまい! もっと食べたいキビナゴ。 あとのお刺身もしみじみキトキトで お腹もちょうど空いていたので ごはんを全部食べてしまいました。 お味噌汁は、麦味噌。 刺身醤油は少し甘め。 九州だなあって思いました。 #
by ichijikunikki04
| 2024-03-15 09:48
| ちゅんたろーの旅行記
|
Comments(4)
|
ファン申請 |
||