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ちゅんちゅんの陶芸ブログ
「いいもの焼けた?」はこちら♪ ******** 当ブログの全てのコンテンツ(文章・画像)は著作権を放棄しておりません。 許可なしでの情報の転載、転用、引用、コピーなどはご遠慮下さいませ。 ******** いちじくはねこ。 わたしの大事なたからもの。 子供のころ、裏にいちじくの木がある家に住んだことがあります。 手入れをするわけでもないのに、季節になると、あまいあまい実を食べきれないほどとらせてくれました。 ぷつぷつとろ~り美味しかった 木の上でしっかり熟したものが好き。 シルバーーグレーの毛がビロードのような手触りのいちじくは、なでていると、わたしがなでられているような錯覚におちいって、気持ちがとても落ちついて。 しあわせなひとときでした。 わたしは、てんかんの発作を2才のとき初めて起こして以来、長い長い付き合いをしています。 確定したのは小学校2年生。 知らない人には知ってもらえるように。 少しでも伝わっていけばと思っています。 いちじくとくぬぎとわらびとの暮らしの中で。 日々のことを交えながら。 のんびり書いていきたいです。 2005.5.24 いちじくに弟を迎えました。 くぬぎ。 キジトラの男の子。 家に来たときは750gでした。 いちじくとののんびり生活に変化が訪れ、楽しみです。 2005.9.5 ブログを始めて1年を迎えました。 くぬぎはすくすくと育ち、キジトラというよりオシキャットのように見えます。 のんびりをさらにのんびり。 2年目は、もっと肩の力を抜いて。 少し生活に幅も欲しいと願っています。 2006.3.20 障害者手帳を手にしました。 正確には「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第45条の保健福祉手帳」 等級は、1級。 思ったより重かった。 2006.9.5 「いちじく日記」も3年目に入りました。 見守ってくださる方々へ心からの感謝を。 そして、くじけそうになるわたし、よく生きる道はきっとある、生きてみなければわからないことがたくさんある。 大事なことを忘れずに日々を送れますように。 2007.10.吉日 4年目にはいっている「いちじく日記」です。 毎日がはじめての時間。 変わらないようでいて、少し違う時間。 現実の時間は確実です。 歩いているのか 歩かされているのか いちじくぬぎとともに 一歩一歩。。。。 2008、7月 関西どっとコムからeoblogへ。 移行することになりました。 環境が少しだけ変わり、わたしにも何かあるのでしょうか。 2013、12月 いちじくぬぎともに、元気です。 小さな一日をなにもなくとも大事にしてきて そろそろ、あと一歩、もう一歩、の思いが動き出すのではないか、自分に期待しているところです。 なんと長らく書きつづけていることでしょうか。 おかげでほかの何かもやれそうな気がするのです。 2014、9月 いちじくぬぎ、少々としはとりましたが、元気です。 年初から19年ぶりに陶芸を再開しました。 しんどいながらも張りのある生活。 得意の夏場に体調が悪く、どうしたことかと思っていたら、関節リウマチになりました。 病気も身のうち、ストレスをひょいひょいと避け、うまくやっていきます。 めざせ、寛解、なのです。 2016、1月17日 最愛のいちじく いちじくが2015年夏に悪化した慢性腎不全の闘病を終え、わたしのもとから旅立ちました。 さみしくなりました。 いちじくがもうひとりで動けなくなり、そばについていたときです。 やらなければならないこと やりたいこと 全部やってから いちじくのところに行くね そう約束してしまいました。 「いちじく日記」はつづきます。 2016、7月21日 くぬぎに年の離れた妹がやってきました。 黒猫の女の子わらびです。 家に来た時は生後1か月半、570g いちじくの面影をつい探してしまっています。 2016、11月 eoblogのサービス終了によりエキサイトブログへと引っ越ししてきました。気持ちを新たに、変わらぬ日常を大事に送ってゆきたいです。 2020、7月13日 くぬぎが15歳で旅立ちました。 肺の状態が末期だとわかって1ヶ月半の闘病。 くぬぎは呼吸が苦しい中、本当によくがんばりました。 さみしくなります。 書くこと、描くこと。撮ること、おいしく食べること、良く眠ること、 猫、猫、猫、 美しいこと、かわいいこと、きれいにすること、花、演劇、どろどろ、悪夢、シンブル、きらきら、インテリア、アンティーク、B’z、 猫、猫、猫、 陶磁器、旅行、ほんとは外に出たい、こうもり、バラ、いちじく、くぬぎ、どんぐり、猫猫猫、文楽、歌舞伎、落語、着物、ファッション、わらび、陶芸 検索
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大阪の造幣局の桜の通り抜け。 初めて行ったときに、八重桜の種類の多さに驚きました。 今年の桜は「紅華」。 あれは、なんという八重桜だったのだろう。 わたしが福岡で通った高校は、戦後、学制の改革で共学になったけれど、以前は高等女学校でした。 そのなごりで、共学といっても男子は全校生徒の2割しかいない。ほとんど女子高のようなものでわたしはずっと女子クラス。 その「歴史と伝統」を未だ大事に掲げた高校に、わたしは4年間在籍しました。 15才の春、入学。 自分で選んで受験した学校、始めて自分で選んだ行く先。嬉しかった。 古いどっしりとした校舎は昭和の初期に通った伯母が「同じよ、変わってないわ。」と言っていた。 わたしの在校中に創立80年の記念式典があったので、創立当初からのものだったかもしれない。 二階建ての薄いピンク色に塗装された木造校舎は、外側は洋風ながらも、いちばん奥まった建物の中には、茶室に水屋があり、その隣には、100枚ほど畳を敷いた部屋も。 茶室は外からは見えないようなしつらえで、庭園があり、見事なつつじを咲かせたものです。 つつじの高い生垣の横には弓道場などもありました。 教室の窓は手で持ち上げ、木で押さえをする造り。開けるか閉めるか。 わたしたちは「ギロチン窓」と呼び「窓開けるから手伝って。」と声かけ合い、指をはさまないように気をつけていました。 廊下はつやつやと輝き、先生が「豪華客船の甲板に使うのと同じ板なんだぞ」と自慢げに教えてくれたのを覚えています。 校門を入ると小さなロータリーを備えた玄関。 なかなかどっしりとした風格のある校舎は古いけれどわたしのお気に入りでした。 その校門を入るとすぐ右に大きな大きな濃い目のピンクの花をつける八重桜がありました。 入学、新学期を迎えた生徒たちを祝うかのように花開く。 わたしは、目を奪われた。 育った環境の中に八重桜、これほど大きな八重桜がなかったからか、自分が選んだ場所に立つ大きな木を見上げずにはいられなかった。 4月、この前でクラス写真を撮るのです。 わたしは、入学後すぐに病気で学校に行けなくなり、夏前には休学しました。留年。 1年生を2回。 クラス写真はだから4枚持っています。 同じ場所で撮った写真です。 日本はまだ経済の成長を続けていました。 1970年代の終わりです。 古い校舎は時代に合わないということにされ、改築の計画が進み、取り壊され、4階建ての近代的な鉄筋コンクリートのものに建て替えられることになりました。 八重桜は、この建て替えにより切られることになった。 わたしは、何人かの先生にどうにかならないのか聞きました。 どうにもならない。 ふつうに学校に通う力さえろくになかったわたしです、何もできませんでした。 学校を休んでいる間に、八重桜はなくなった。 ひとりで歩いて回ったピンクの古い校舎もなくなった。 お茶室も弓道場もあっさりなくなっていた。 高校3年生の春。 新しい校舎で一斉に新学期を迎える。 わたしは、そのことを嘆くことはありませんでした。 進級できたのだ。他には一切の不満はない。卒業を目指すのみ。 ただ前を向くしかなかった。 時代は動いていました。
by ichijikunikki04
| 2005-04-15 12:27
| いろいろなこと
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Comments(12)
思い出には。常に、映像や音が流れているよね。あなたが高校時代を、八重桜で思い出すように。私は。ガンダムで思い出します。彼氏の顔が、シャアにそっくりでしたから[E:heart]って、私っ!感動コメントなのか、マヌケコメントなのか[E:shock]わからないアル。そして、あえて。4年というところには、触れずに。猿[E:smile]
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まにまにしゃんコメントはあんぽんたん傾向でせう。ぷ。おいら、中高同じ敷地内にあるところに通ってて高校時代、自分たちが過ごした中学校舎が取り壊されるときちっと悲しかったな~。あぁ、素晴らしき日々。と、おいらも4年というところには触れないで猿[E:smile]うきき。はっ。もうすぐ技能だ。行ってきまっす[E:rvcar][E:dash]
私の通った高校は新設校でした。校門を入ると、若いゆずり葉の木。それがシンボルツリーでした。ゆずり葉は、新しい葉が出ると、古い葉を落とす。そんな風に後進に道を開く心を持てと説かれました。なつかしいです、大きくなったでしょうね、あの木。
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すずらん
at 2005-04-15 16:15
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通っているときは嫌いだったなあ。サボってばかり、、、できれば学校に行かないことばかり考えてたよ、私。もったいない時間だった、と大人になって思うよ[E:shock]ちゅんちゅんチャンは学校に行く努力をしてたのに、私はサボる努力を惜しまなかった[E:annoy]はははぁ~これもあり[E:sign01][E:smile]いい学校だった。私あの時間あそこで過ごせてよかったと思う[E:smile]そうあの八重桜どっしりしてたね。派手でも可愛い訳でもないんだよね。でも趣があったね[E:heart]
わたしは、いろんなことで思い出すのだ。つつじとか、茶室とか、弓道場とか。お面をかぶった本当はどんな顔してるかわからない彼氏ではないのだ。しかも。もえあがぁれぇ~~もえあがぁれぇ~がんだむぅぅ♪なんてBGMは流れないのだ。なぜ、触れない?3枚はあるんだ、八重桜の写真が。4枚目は違うのだ。いいでしょ~~~4年行ったから、書けたブログなのだ~~~[E:lovely]
技能の方がおもしろかろ~~[E:car][E:dash]中高一貫だったんだねー。古い校舎が取り壊されるって寂しいよね。木造の方が好きだったのに。素晴らしき日々なんだね。うんうん。よかった。それはシアワセなことだもんなあ[E:smile]まんまんちゃんも、ちびっと風景を語ってみんかのぅ。[E:shock]
そうそう。あの八重桜ってかわいいとか可憐とかそんなんじゃなかったよね。どっしり、大きくてたくましさを感じさせるくらいだった。幹も太かったしね~。八重桜といえば、あれが浮かぶから、かわいいと不思議な感じがするもんなあ。わたしは、みんなが元気にさぼりたがったり、遊びに行きたがったりしてるのを見てるのは好きだったよ。それも。すごく[E:shine]
うわ~、さすが京都だ。枝垂桜があったんだねー。京都の桜は雅だからなあ。校舎の建て替えはどこでもしなくちゃいけなくなった時代なんだね。古くてよかったのにね。ムダもいっぱいあったし。あの古い校舎には、パソコンの導入はムリ。しょうがないなあ。[E:shock]
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極妻
at 2005-04-16 01:32
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読みながら、なんか景色が浮かんで来ただよーっ。こういうの書くの、上手いよねー、ちゅん姉。色々と想像めぐらせてたらねー。なんか映画に出てきそうな古い学校と旧家で味のある場所を混ぜたようなのが出来上がったじょー。ぷすす。でもって、大きな大きな八重桜。こりだけは、想像つかない。ハワイのこの木なんの木も意外と小さかったしのぉ。大事な場所で、大事な思い出を振り返るとさー。なんか哀しいような切ないような色んな気持ちが込み上げるよねー。極妻の思い出の場所は、ワイキキの映画館なの。昔のハワイの絵に出てくるような、キッチュなレトロ感覚溢れる、ふるーい、ふるーい建物なんだけどね。ほとんどが新しいファッション・ビルとかに変わっちゃったの。行く度に、フラッシュバックするんだじょー。なのに、間抜けな極妻は、写真、一枚も撮ってないの。段々、脳みその中の昔の風景が鮮明度を失いつつあるのが、いと哀し。しゃーっ。
そうなのそうなの。大事なことを思い出すと、シアワセな気持ちと一緒に哀しい切ない感情がこみあげてくる。そのときに、切なかったわけじゃないのにね。極妻ちゃんの想像した感じだと思うよーん。ありがとうね、嬉しいなあ。そうだな、うん、あの大きな八重桜は想像しにくいと思うの。わたしも他には出会ったことがない堂々たる八重桜だったの。八重桜に「堂々と」なんて合わないよねー。ワイキキの映画館。なくなっちゃったんだね。そういうのって取り返しがつかないのにね。独特の空気とかニオイとか、どこかでふっと思い出したりするよね。写真がないのかあ。あ、でもね、わたしも高校卒業以来、その写真見てないんだよ。だから、だんだんセピア色。不思議だなあ。色があったはずなのにね。だから、よけいに切なかったりするのかな。きゃーー。しゃーっ。
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